昨日(12/8)は、日本にとってアメリカとイギリスに宣戦布告した開戦記念日(83年前。1941/12/8)でした。またシリア情勢が大きく変化した日でもありました。
シリアの反政府組織が、北部のアレッポ占領に引き続き南進し、ハマ、ホムスと立て続けに確保、更に首都ダマスカスまで進出、同地を無血開城というかたちで確保しました。政府軍は大した抵抗もせず、ダマスカス防衛を放棄し、地中海正面に逃げたようです。政府軍の崩壊で、アサド大統領はロシアに亡命、50年余り続いたアサド政権は終わりました。
政府軍が何故腰砕けになったのかというと、もともとアサド政権を守るという気概、使命感がなかったのだと思います。また、これまでならレバノンのヒズボラが政府軍を支援したのでしょうが、イスラエルの攻撃を受けて壊滅に近い状態なので支援ができなかったことも一因です。更に大きな要因は、ロシア軍、特にロシアの航空戦力がウクライナ正面に割かれ、政府軍を支援することができなかったことです。これまで、ロシアは反政府軍に対して航空戦力で絶対的な優勢を保持していました。それは、反政府軍には対空ミサイル等の装備が無かったためです。対空戦力がないがために、正にロシア空軍の跳梁跋扈を許していました。その航空戦力がない状態では、俄然反政府軍の地上戦力が強まり、この1、2週間の南下進撃が可能となったわけです。
今回の一連の戦闘から得られる教訓は、①航空戦力の重要性、相反しますが、②対空戦力の重要性、そして③国を守るという強固な意志・大義の重要性(政府軍には欠落していたようです。)であると考えます。
アサド政権の崩壊により、イラン-シリア-レバノン(ヒズボラ)というイスラム教シーア派国を結ぶ回廊(いわゆるシーア派回廊)が中断することになります。ヒズボラはイスラエルとの戦いで大きな損害を受けていますが、その瀕死のヒズボラに対し地上ルートで軍事支援してきたイランの支援が今後は困難となります(ホルムズ海峡ー紅海ースエズ運河ー地中海という海上支援ルートを利用した軍事支援はイスラエル海軍の警戒が厳重で従来から不可能)。既にレバノンを拠点とするヒズボラがイスラエルとの停戦に応じていることもあり、中東情勢は少しは落ち着くと思われます。懸念材料は、今後反政府軍相互の覇権争い・主導権争いが激化することです。またシリアは石油を算出するので各国が石油利権の確保に動くでしょう。まだ楽観はできません。


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