終戦の日に思うー平和教育と核抑止

国への思い

 毎年、8月15日の終戦の日(日本がポツダム宣言を受け入れ、無条件降伏すると宣言した日)が近づくと、戦争の悲惨さを訴える様々なインタビュー記事やドラマなどがテレビで放映され、新聞にもそうした記事が氾濫します。「戦争は悲惨だ」「戦争は2度と起こしてはならない」といった、どちらかと言うと感情に訴えるものが殆どです。私も全くその通りだと思います。しかし、それでは「その悲惨な戦争を回避するためにどうするか?」という論理的な更に踏み込んだ主張はなかなか見られません。

 日本人の多くは、戦争を経験した方から、或いは原爆の被爆者になった方から「戦争の悲惨さ」を聴き、後世に語り継ぐことが平和に繋がると信じ、特に戦争を知らない子供たちに教え続けることが平和教育であると思っているようです。

 ちなみに、極一部の左翼イデオロギーに偏った人たち、中共やロシアのプロパガンダの代弁者達は、「憲法9条を守ることが平和への道」であると相変わらず叫んでいますが、流石にまともな思考力を持った日本人はそんな「9条信者」の言うことには耳を傾けないでしょう。

 話を平和教育に戻しますが、私はそうした戦争の悲惨さを教えることだけが平和教育ではない、少なくとも不十分だと考えています。正しい平和教育とは、悲惨さを教えるとともに、どのようにしたら戦争を回避できるか、抑止できるかというところまで踏み込んで教えることだと思います。

 例えを言います。私たちは、コロナウイルスやインフルエンザウイルスに冒されると高熱にうなされ、時に命を失うこともあります。だから、日頃から子供たちに、「コロナやインフルに罹ると大変だぞ、死んでしまう場合もあるんだぞ、注意しろよ!」と言うだけでなく、予防のために「ワクチンを接種しろよ、うがいや手洗いをしっかりするんだぞ!」と具体的に指導します。これが当たり前なのです。しかし、日本の平和教育は、「罹ると大変だぞ、高熱がでるぞ」と言うだけで、具体的な対策までは言及しません。大変いびつな平和教育がなされており、長年にわたる洗脳のためか、多くの日本人がそれで良しとしているかのようです。現実に軍事組織である自衛隊があり、日米同盟によって日本の安全・平和が保たれているのだから、戦争を抑止するための方策(外交、軍事、経済)まで踏み込んでこそ正しい平和教育であると考えます。

 核抑止についても、同じことが言えます。「核兵器は恐ろしい、核廃絶こそ被爆国日本が率先して進むべき道だ!」というだけで、三方を核保有ヤクザ国家(ロシア、北鮮、中共)に囲まれた現実を踏まえ、日本が再び被爆国とならないためにどうしたら良いか、3発目の核を落とさせないためにどうするか、ということまで踏み込もうとしません。そうした議論すらタブー視しています。この点、私の尊敬する矢野義昭氏(私の元上司)が最近素晴らしいポストをされたので、それを紹介します。

矢野氏のXでのポストー核抑止について

 毎年夏には核兵器の惨害が強調されますが、その与える恐怖こそ抑止力の本質です。核抑止への依存を否定し恐怖だけ強調すれば、核恫喝を受けた場合、攻撃された場合の惨害が連想され、核恫喝国の要求に屈する他ないと国民も政治家も思い込み、易々と屈することになります。

  核ミサイルを撃たれても確実に落とせる手段は、近い将来もありえません。電磁波などの新技術の開発には時間がかかり、技術的信頼性が確立されるかは不透明です。その点、核抑止は今でも機能しており、実績もあり、確実な抑止効果があります。 核時代に入り核恫喝は歴史上何度もかけられ、相応の成果を上げてきました。

 日本の対米従属の本質的理由は米国の核の傘に国家安全保障の根幹を依存していることにあります。米国の公正と正義に生存と安全を依存しているのがNPT批准後の日本です。これまでの通商交渉や今回の関税交渉など対米交渉で日本が必ず押し切られてきたのは、その為です。

 しかし、その日本が命綱を預けている米国の核の傘は、中露との核戦力バランス上既に信頼できなくなっています。日本には核抑止力はなく核恫喝に屈するしかないのが現実です。

 そのような現実を無視し、核の惨害ばかり強調するメディアが展開し政治家がことごとに強調する反核プロパガンダは、日本人の核恫喝への屈服姿勢を徹底的に強化馴化し、日本人を無力な隷従状態に永久に縛りつけておくための謀略です。

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